この記事では、あいみょん『愛を知るまでは』の歌詞の意味や解釈を考察していきます!
・タイトル:『愛を知るまでは』
・作詞作曲:あいみょん
・リリース:2021年5月26日
・レーベル:ワーナーミュージック・ジャパン
それでは早速、見ていきましょう!
あいみょん『愛を知るまでは』の歌詞の意味や解釈を考察
いざ、手のなる方へと
導いたのは 誰でもない自分自身なのに
自信がないよ 笑っちゃうな
もたついている
空気が抜けたままの身体走れど走れど続く
人生という名の死ぬまでのエピソードは
軽いままの身体では
吹き飛ばされて
すぐに終わってしまうなあー、誰にもないものを持っていたいのになぁ
無理矢理に抱きしめてた
心を今解いて優しい心を持ちたいのだけれど
時にはがむしゃらに怒って
涙は真に受け止める
愛を知るまでは死ねない私なのだ!
導かれた運命辿って
今日も明日も生きて行こう
「自信がないよ 笑っちゃうな」と、前に進めない何もない自分を他人事のように見ながらも、自分と向き合おうとし始めたのだと思います。
自分の平常心を守るために深く考え無いようとしてきたけど、感情と向き合って進まなくてはと思い始めている感じがしますね。
「もたついている 空気が抜けたままの身体」の部分は、中身の無い人間になってしまっているのではないかという怯えから、足がもつれる若者の等身大の姿を描いているように思います。
「走れど走れど続く~すぐに終わってしまうな」 の歌詞は、大人として歳を重ねる日々の中、未だ何者にもなれていない自分に焦り、時には同世代の他人や成功者を羨んでしまう日もあるということ。
「軽いままの身体では」の部分は、まだ愛するべき人やものを持たず、よくも悪くも身軽な状態を表しているのでしょう。
「誰にもないものを持ってたいのになぁー」と、願望ばかりが強く出てしまい、まだ何をどうしたら良いのか、何も道筋は決まっていないことが分かります。
現実とのギャップに、若干もやもやしている様子なのではないでしょうか。
「優しい心を持ちたいのだけれど」という部分にも、何も得ていないから未熟な自分を自覚しコンプレックスを抱えた上での言葉のように取れます。
「愛を知るまでは死ねない私なのだ!」の歌詞は、これまでのはっきりしない自分自身に喝を入れたい気持ちなのだと思います。

目の前に見えた星は
幾千年の輝きを失いそう
夢で終わる夢ならば
見なくていいと 自分に言い聞かせたあー、まだ咲ききれない
花のような毎日だなぁ
無茶苦茶に走り続けた
身体を今休めて交わることのない誰かと巡り合い
無限に広がる雲に乗って
見たことのない虹を見たい
愛を知るまでは死ねない私なのだ!
導かれる運命頼って
今日も明日も生きて行こう
「目の前に見えた星は幾千年の輝きを失いそう」という歌詞から、今まで追い続けていた目標を終わらせる時期に来ている感じがします。
それは果たして自分からの意思で諦めるのか、それとも諦めざるおえない状況になっているのか。
前半で出てくる「愛」は漠然としていて、恋愛などを示唆しているようにも取れますが、後半の「夢で終わる夢ならば見なくていいと自分に言い聞かせた」「まだ咲ききれない花のような毎日だなあ」の部分で、人生での目標や達成感も自分にとっては“愛”の中に含まれるのではと気付かされます。
現状うまくいっていない自分を不甲斐なく思ってはいるけれど、「無茶苦茶に走り続けた身体を休めて」と、結局は今の状況を受け入れることを決めたのでしょう。
「交わることのない誰かと巡り合い」の部分は、何らかの目標を達成することでやっと手が届くものという意識があるのかもしれません。
恋愛に限らず、今まだ手に入れていない多くのものへの愛や繋がりを、どうにかして得て充実した日々にしたいという気概が感じられる部分です。
そして、自分の運命は自分で描いていたようには進んでいないけど、広い空の下まだまだ続いていて「見たことのない虹を見たい」とポジティブな内容の歌詞に続いています。
「導かれる運命を頼って」と歌われるように、人は誰かと巡り合い、またその度に、優しい心を持とうと努めながらも時々怒ったり泣いたりして、ぶつかり合いながら愛を知るのです。
「今日も明日も生きて行こう」は、自分自身に言い聞かせて元気を出したい言葉なのだと思います。

まとめ
この曲は、ドラマ『コントが始まる』放送の数年前に作られた楽曲だそうですが、歌詞がドラマの登場人物たちの心模様とリンクしていますよね。
当時、なかなか売れなかったあいみょんさんが、夢を抱きつつも現実とのギャップにもがき苦しんでいた様子が分かります。
気になった方は是非チェックしてみてください!
最後までお読み頂き、ありがとうございます(^^)